群島の日誌

フランスの展覧会感想や読んだ本の感想など。写真展と近代・現代アート中心の予定です。

ヴォルテール『カンディード』/ 苦難の果てに「私たち」が集う物語

仏文50チャレンジ第3回の感想は、第11位のヴォルテールカンディード』(光文社古典新訳文庫斉藤悦則訳)についてです。

 

前回『ベラミ』の感想はこちらから。

guntou.hatenablog.com

 

あらすじ

ドイツ・ウェストファリアのツンダー・テン・トロンク城にて、領主の甥であるカンディードは、領主の娘クネゴンデに口づけをしたことが見つかり、尻を蹴られて暮らしていた城から追放される。

哲学者パングロスの教えに従い「あらゆるものは最善の状態にある」という最善説を信じるカンディードは、戦禍や大地震、異端裁判など度重なる苦境を潜り抜け、ヨーロッパから南米へと巡り、そして再びヨーロッパへと戻ってくる。 

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ヨーロッパと南米を巡るカンディードの足跡。物語は最終的にコンスタンチノープルに辿り着き幕を閉じる。https://mapsontheweb.zoom-maps.com/post/107790782221/the-journey-of-candide-via-whysocomplacent

 

全ては最善である、のか?

1759年に刊行された本書は、七年戦争(1754年-1763年)の最中であり、またフランス国内で戦争による財政悪化や啓蒙主義の発展などフランス革命への下地が築かれる中であった。

 

物語の主軸となるのは、「全能で善なる神が選択したこの世界は、したがって最善である」というライプニッツ哲学に基づく最善説である。

そしてこの主軸は、宗教対立、異端裁判と火あぶり刑、暗躍する修道士、リスボン地震、植民地と奴隷、梅毒、王位を奪われた者たちなど、当時の様々な現実によって取り囲まれている。*1

 

最善なる世界に、悪は存在し得ない。なぜなら悪の存在は、神の全能さを否定するものだからだ。ではカンディードたちを苦しめ翻弄するこれらの存在や現象は一体何なのか?これらの過酷な現実も、神の思し召しによるものであり、やはり全ては最善なのか?

カンディード 』は、この疑問によって最善説への信仰が揺さぶられる様が、そのままストーリーとなったものとも言える。その意味では、遠藤周作の『沈黙』と物語のイメージは近いかもしれない。

 

旧世界(ヨーロッパ)と新世界(南米)の行く先々で、これらの現実を反映した事件に巻き込まれ、出会いと別れを繰り返し、なんとか潜り抜けつつ生き延びるさまは、まるで『タンタンの冒険』のような冒険劇のようでもあるが、所々に散りばめられるナンセンスさや不条理さは、割とドス黒さがある(後半に割となんでも金で解決してしまうあたりとかも含めて)。

 

死を回避し復活を繰り返す者たち

この作品では、死んだとされた登場人物が実は死んでいなかった、あるいは生き返ったという仕掛けが複数登場する。

 

例えば、

- クネゴンデはブルガリア兵に辱められたあげく、腹を切り裂かれた死んだ、とパングロスは説明するが、実際そのブルガリア兵士は上官によって殺されておりクネゴンデは助かっている。

- そのクネゴンデが「喉をかき切られた」と話す彼女の兄は、埋葬の際になってイエズス会の神父に救われ、3週間で傷を癒し自身も神父になる。

- パングロスは、絞首刑に処されたのち解剖の献体として買い取られ、胸を十字に切り裂かれた際、叫び声を上げて復活する。

 

こんな形で、カンディード含め主要な人物たちは確固たる死を回避し続け、また復活においても、伏線も何もなく一度退場したものたちが行く先々に再配置・再利用されている。

 

このキャラクターの不死性は、100tハンマーで殴られても死なない、(ドリフ的な)斬られても斬られても死なないキャラクターなど、今の視点で考えると割とベーシックなギャグコードだろう。死なないということは、それだけで物語を面白くするのだ。『カンディード』はそのコードを繰り返し使用する。

 

そういえば、先に『タンタンの冒険』のようと書いたが、タンタンや主要な登場人物もまた死を免れた者たちであるし、パングロスの信念が強いあまり現実に動じないちょっとおとぼけな姿はビーカー教授と重なる。

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左はフランスで発売されているCandideの表紙。右側の手を挙げた人物がパングロス先生だろう。右はビーカー教授。©Hergé / Moulinsart 2021

 

誰も真実を把握できない

もう一つ、『カンディード』で繰り返される死と復活は、誰も真実を把握できていない、ということも表しているかもしれない。 耳にすることはおろか、自分で目にすることでさえ、大概間違っており、人の認識がいかに曖昧なものであるかが常に例示されている。

そんな中で、「最善説」のみを信じ続けることができるだろうか。しかもその説でさえ、結局はパングロスの講義による受け売りなのだ。

何より、あれほどまでに探し求めたクネゴンデに対しても、時を経て容姿が変わってしまった後には、「心の底では、クネゴンデと結婚したいなどとは少しも思っていなかった」と言ってしまうのだから。

カンディードの苦難の旅路と別れと再会は、そのすべてを持って最善説への疑義、つまり「とにかく、ぼくたち、自分の畑を耕さなきゃ」と言う最後の一言へと至るようにできている。

 

「とにかく、ぼくたち、自分の畑を耕さなきゃ」 

カンディード』の最後は、この読者への投げかけられる有名な句によって締め括られている。

パングロスが「これまでの苦難のおかげで今がある、やはり全ては最善だ」と語るのに対し、カンディードは、次のように言う。

 

「お話はけっこうですが」カンディードは答えた。「とにかく、ぼくたち、自分の畑を耕さなきゃ」

 

これはカンディードがついに「最善説」を横に置けるようになった変化を表している。

 

原文では、

Cela est bien dit, répondit Candide, mais il faut cultiver notre jardin.

となっている。

 

訳では「自分の畑」となっているが、原文では「notre jardin」=「私たちの庭(畑)」であり、「mon jardin」=「私の庭(畑)」でないことに、個人的には注目しておきたい。

最後まで最善説を説こうとするパングロスを、「いえ、私は私の畑を耕さなければいけませんので」と拒絶をしているわけではなく、パングロスも畑を共有する一人であることが示されている。

全能なる神による最善なる世界を最後に疑いはしても、神そのものを否定し、共同体から独立し完全に個人に至るまでではないのだ。

 

この点について、解説を記した渡名喜庸哲氏は以下のように論じている。

 

「土地を耕す」ための「二本の腕」と「理性のかすかな光」とを与えられた私たちができることは、働きながら、「自然」の声に耳を傾け、自らの弱さと無知とを自覚しつつ、たがいに助け合うことだということになるだろう。意見が異なるものがいるとしても、そうした多様性こそが「自然」の命じたところであるのだから、われわれはそうした他者の存在を許容して、対話を続けなければならないということだ。

 

ストーリー内の死なない人物たちは、議論が決裂しても、その意見そのものは消滅させてはならないことの比喩とも言えるだろうか。そしてたとえ真理に辿り着かなくとも、探究をやめてはならない、そして対話を続けなくてはならない。

 

さらに、以下のように続く。

 

その意味で、カンディードが数々の苦難の末に自分自身の「畑」にたどり着いたとき、クネゴンデはもうかつてのように美しくなかったかもしれないけれど、彼がロビンソン・クルーソーのようにたった一人ではなかったということ、このことは多いに示唆に富んでいると思われる。

 

対話には他者の存在が不可欠である。登場人物たちが、旧世界と新世界で様々な運命に翻弄されつつも、死を回避し再会を繰り返すのは、最後にこの「畑」に集う「私たち」になるためだったのではないだろうか。そして、自分の畑を耕す意味は、今もなお変わらず存在し続けている。

 

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*1:リスボン地震は、1755年11月1日発生。マグニチュードは推定Mw8.5 - 9.0で、津波による死者1万人を含む5万5,000人から6万2,000人が死亡した。この甚大な被害はヨーロッパ社会全体に大きな衝撃を与え、またヴォルテールも元々支持していた最善説を疑うまでにその思想に影響を及ぼしたとされる。その点では『カンディード 』は「災害文学」の一種なのかもしれない。また本書にはヴォルテールによる『リスボン大震災に寄せる詩』の本邦初訳が共に収録されている。リスボン地震 (1755年) - Wikipedia

ギ・ド・モーパッサン『ベラミ』/ 「悪漢の種子」の成長譚

仏文50チャレンジ第2回の感想は、第10位のギ・ド・モーパッサン『ベラミ』(角川文庫、中村佳子訳)についてです。

 

前回『赤と黒』の感想はこちらから。

guntou.hatenablog.com

 

『ベラミ』は、パリでくすぶっていた主人公ジョルジュ・デュロワが、新聞社の記者に就くことをきっかけに、その美貌を武器に女性との情事を重ね、野心を成し遂げていく物語だ。

 

ベラミ(Bel-Ami)とは「美しい男友達」という意味になり、作品内ではジョルジュを認め惹かれる者たち(ロリーヌ、ド・マレル夫人、ヴァルテール夫人、ヴァルテール社長、そしてシュザンヌ)が使用する呼称となっている。*1

 

ジョルジュは、相手の女性が変わるたびに新たな地位や資産を手に入れ、社会を上昇していく。この説明だけだと、『赤と黒』の物語、そして主人公ジュリアン・ソレルが思い出されるが、実際読んでみると、志や気位の高さを持つジュリアンに対し、ジョルジュは人としてのえげつなさが際立つ。

恩人である友人の死に「思ったよりあっけなかった」と呟き、自分を非難する女を殴り倒し、不倫相手の主人を前に「おいおいおじさん、おれはあんたの女房を寝取ったんだよ、寝取っちゃったんだよ」と心で嘲り悦に入る、など。

そしてゲスさは物語とともに加速する。

 

ジョルジュは、何にも勝る出世欲のもと、「なに事かをきっかけに成功できる」という自信を持ってパリにやってきた。そのきっかけというのが、「偶然に道で出会った銀行家か大地主の娘の心をいっぺんに征服して結婚する」という設定だったりするあたり、ナルシシズムが完成されている。しかし『ベラミ』とは結局、この妄想設定を実現し続ける物語なのだ。

 

物語序盤ではその成功に程遠いのだが、「ぼくに足りないのはやる気じゃない、手立てだ」という弁にあるように、手立て(les moyens)、つまり手段が見つかっていない、という自己評価を下している。

 

逆に言えば、手段が見つかれば社会で成り上がれると確信している。重要なのは自身がどう振る舞うかではなく、「手段」である他者が存在するかどうかであり、そして他者の存在こそが、彼の意識や行動を導き、さらなる野心を抱かせるのだ。*2

 

美しき 「悪漢の種子」

作者であるモーパッサンは、ジョルジュの人物像について、

 

私は、最初の行から、悪漢の種子の存在を提示しており、その種子は落ちた大地で成長する。その大地とは新聞のことだ。

 

ジョルジュは自分の未来を女性に託している。ベラミというタイトルが、それを十分に示唆していないだろうか?

 

と語っている。*3

種子に、芽生えよ伸びよという意志はいらない。条件や環境が合えば自然と生まれいづるものであり、あとは光の指す方へ伸びていくだけなのだ。

ジョルジュの天井知らずの欲望と他者を道具に自己実現をなすその性格を非常に的確に表している。

 

とは言え、ジョルジュは何も持っていない凡人なわけではない。彼は類稀な美貌を持っているのだ。

軍役時代の同僚であり、ジョルジュに記者の仕事を紹介する(つまり最初の手段としての他者である)友人シャルル・フォレスティエの夕食会に呼ばれ、物語の主要人物(この後に手段となる人々)と面会する場面の描写は非常に面白い。

 

ゆっくりと階段をのぼる。動悸がした。気が重く、なにより笑われるんじゃないかという恐れに苛まれていた。すると、突然、目の前に見事な身だしなみの紳士がおり、じっとこちらを覗っているのに気がついた。距離があんまり近かったので、デュロワはうしろに退がった。そうしてあっと固まった。それは鏡に映った自分自身だった。背の高い姿見が二階の踊り場を長い廊下に見せている。喜びにぶるりと震えた。思っていたよりましだと思った。

 

他人、特に今の自分より上層にいる者からの嘲笑は、プライドが高いジョルジュにとっては耐え難い屈辱であり、恐れすら引き起こす。その恐怖が投影され、自分の姿を別人に錯覚させるのだが、その恐怖と錯覚を剥ぎ取り真の姿に導くのは、自分の美貌なのだ。

ナルキッソスは水面に映る美しい自分の姿がその身を滅ぼしたが、ジョルジュはそれがパリでも自分の身を救う切り札と確信した。

うだつの上がらない日々からの脱却が始まるのは、まさに階段に登りつつ上昇する術を再発見するこの瞬間であり、個人的にこのシーンは気に入っている。

 

欲望の転換

ここで、『赤と黒』以降となる19世紀後半のフランスの歴史を簡単に見ておきたい。

1848年 二月革命によりルイ=ナポレオン(のちのナポレオン三世)が大統領に選出、第二共和制開始
1852年 ルイ=ナポレオンがクーデターを起こし、皇帝ナポレオン3世として即位、第二帝政開始
1853年 ジョルジュ・オスマンがセーヌ県知事に就任(1870年まで)、パリの都市改造計画を推進
1870年 プロイセンに宣戦布告し普仏戦争が開戦するも、フランス敗北、ナポレオン3世は捕虜となり廃位しイギリスに亡命、第三共和制開始
1871年 パリ・コミューン(3月から5月まで)
1885年 『ベラミ』発表
1889年 エッフェル塔竣工
1894年 ドレフュス事件

 

本作が発表されたのは、普仏戦争の敗北とナポレオン3世の亡命により帝政が終了し、第三共和制が開始した時代となっている。

 

先に引用した島本孝治氏の論考で、ジョルジュの欲望の転換について触れられている。

最初には野心と愛との間の価値基準で、次のように語っている。

 

それでも人生には唯一のことがある。愛だ!愛する女をこの手に抱くこと!それこそが、人間がぎりぎり得られる幸せなのだ

 

しかし、物語が進んだ先には、野心が勝利しエゴイズムに取り憑かれることになる。

 

気を揉むなんて、莫迦のすることだ。自分のことだけ考えてりゃいいんだ。ずうずうしい人間が勝つんだ。所詮、すべてのものはエゴイズムだ。それなら、女や愛に対するエゴイズムより、野心や金に対するエゴイズムのほうがいい

 

この転換から島本氏は、ジョルジュを革命後のフランスで大きな権力を持つこととなったブルジョワジーと結びつけ、当時の社会のカリカチュアであることを説明している。 

 

赤と黒』では、ジュリアンが貴族や聖職者の道によって社会の上層へ至ることを希求し、やがて転落することでそれらへの痛烈な批判を展開した。50年後に描かれた『ベラミ』では、この社会の上層がブルジョワジーに取って代わられた世界であり、ジョルジュの価値観の転換は、社会構成の転換と同期している。*4

 

個々の心理描写に重点を置き、風俗的な描写を省略したスタンダールに対し、モーパッサンはジョルジュのゲスさとパリという都市の持つある種の猥雑さをリンクさせ、その生活の匂いをそのまま描写している。ジョルジュの生々しい欲望は、そのままその時代のパリ、そしてそれを牛耳るブルジョワジーの投影だと気付かされる。

 

周縁から中心へ移動

作中に登場する場所は、そのほとんどで具体的な通りや住所が示されている。例えば、

8区

- ジョルジュの逢引き部屋があるコンスタンティノープル通り

- ジョルジュとヴァルテール夫人が会うモンソー公園

- ヴァルテール家が最初に住むマルゼルブ大通り(あるいは17区)

- ヴァルテール家が引っ越すフォーブール・サン=トノレ通り

- ジョルジュとシュザンヌが結婚するマドレーヌ寺院

9区

- ジョルジュとシャルルが最初に訪れる「フォリー・ベルジェール

- 新聞社「ラ・ヴィ・フランセーズ」があるポワソニエール大通り

- シャルルとマドレーヌが住むフォンテーヌ通り

- ジョルジュとヴァルテール夫人が会うサント・トリニテ教会

- マドレーヌとラロッシュ=マチユの使用するホテルがあるマルティール通り

17区

- ジョルジュが最初に住んでいるブルソー通り

18区

- ジョルジュとド・マレル夫人が通う店「ラ・レーヌ・ブランシュ」(現在のムーラン・ルージュのある場所)

- ジョルジュと離婚後のマドレーヌが住むモンマルトル

 

これらは全てセーヌ右岸が舞台であり、左岸で出てくるのはド・マレル夫人が住むヴェルヌイユ通りとノルベール・ド・ヴァレンヌが住むブルゴーニュ通り(いずれも7区)くらいだった気がする。

 

代表的な舞台を地図にマッピングしてみた(1枚目は現在の地図、2枚目は当時の地図)。

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(1枚目)ThePromenader, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
(2枚目)Eugène Andriveau-Goujon, Public domain, via Wikimedia Commons

マッピングは以下のサイトを参考にした。Le Journal de l'Habitat, Paris : Mobilité sociale et spatiale dans Bel-Ami (1885), https://journalhabitat.wordpress.com/2015/01/16/paris-mobilite-sociale-et-spatiale-dans-bel-ami-1885/

 

ジョルジュの最初の部屋があるブルソー通り、バティニョールと呼ばれる地区は、当時のパリでは周縁に等しい。『ベラミ』はこの周縁に始まり、右岸をさまざま移動しながら、最終的にマドレーヌ寺院などパリの中心へと移動する物語となっている。

 

これは、ジョルジュの出身地であるルーアンからパリへの移動に始まる。そして、このルーアン→パリの北から南(北西から南東)への移動は、バティニョール→マドレーヌ寺院への方位と重なる。またヴァルテール家も同じく、マルゼルブ大通りからフォーブール・サン=トノレ通りという中心部へ南下している。

 

一方、最初の妻マドレーヌは、ラロッシュ=マチユ大臣との不倫現場をジョルジュと警察に押さえられ、大臣共々物語から退場する。彼女は物語の最後にポワソニエール通りからモンマルトルへ引っ越していることが明かされ、これは地図で言えば北上(=周縁に向かっての移動)にあたり、場所と人物の上昇あるいは転落がリンクしているように思える。

ちなみにこの不倫現場突入の場所となったのが、マルティール通り(Rue des Martyrs)で、「殉教者たちの通り」という意味だったりするのが苦々しい。

 

コンコルド広場

場所について、もう一つ面白いと感じたのは、ジョルジュは勤務先の新聞社の社長令嬢であるシュザンヌをたぶらかし、自分と駆け落ちをさせ、コンコルド広場で落ち合う約束をする。この場所は、フランス革命の際ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが処刑された場所だ。

この駆け落ちが失敗すれば、シュザンヌはともかくその先に約束されている巨額の相続はもちろん新聞社での仕事も失ってしまう。首がかかった賭けの場所としては最適な場所と言える。

 

結果として、ジョルジュはこの賭けに勝利し、作品内で最大の成功者であったヴァルテールをも屈服させることに成功し、作中の最大の高みに至る。その姿はまさに神に祝福された支配者・征服者であり、姓であるデュロワ(Duroy)がその内に含む「王(roi)」が具現化した形となった。

しかし同時に、この100年の革命の歴史にあるように、もはやフランスで「王」は長く存在しえない。「王」となった以上、ジョルジュの転落もやはり約束されているのだろう。

 

おわりに

最初に読んだときはジョルジュの人間性に衝撃を受けるが、それ以外の部分にもKindleでハイライトした文章は非常に多かったことに気づく。島本氏の論考のおかげでそれらの道筋が掴めるような感覚があり、途端にこの作品の印象が変わった。40年前に書かれたこのテキストには感謝するばかりだ。

本書の訳者中村佳子氏(ウェルベックの訳者でもある)は、あとがきで、「モーパッサンが、ベラミというヒーローに託した闘いとはなんだったのか?果たしてベラミは勝ったのか?それを考えるのが『ベラミ』の醍醐味なのだ」と書く。

ジョルジュのクズっぷりを受け止めた先に、あちこちに散りばめられたモーパッサンの眼差しが見えてくる。

 

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*1:最初の妻となるマドレーヌが彼を「ベラミ」と呼ばないのは、彼女がジョルジュに屈服しない側の人間であることを表しているだろう

*2:島本孝治、『ベラミ』における欲望の形成とその変容 - 広島大学 学術情報リポジトリ

*3:Guy de Maupassant, Aux critiques de « Bel-Ami »

*4:フランスの名前でド・マレル=de Marelleのようにdeが姓の前につくのは、貴族とのつながりを意味する。マドレーヌは、この貴族名を「きらきら輝くものや、響きのいいもの」と呼んでおり、『赤と黒』の時代とはずいぶん価値観が変化している。またヴァルテールは困窮した貴族から家を買い取る点も社会構成の転換の一例だろう

レン・ハン写真展「LOVE, REN HANG」/身を覆い隠すいちぢくの葉を取り除く

If life is a bottomless chasm, when I jump the endless fall will also be a way of flying

ーもし人生が底なしの深淵であるならば、永遠の転落は飛翔にも成り得る

 

もう2年近く前になるが、パリのヨーロッパ写真美術館(MEP)で中国の写真家レン・ハンの写真展「Love, Ren Hang」が開催されていた。テート・モダンのキュレーターだったサイモン・ベイカー(Simon Baker)がMEP新館長に就任後最初の展覧会であり、今でもとても印象に残っているので、メモや文章を見ながら思い出して書いてみる。 

 

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レン・ハンとは

この展覧会は写真家レン・ハンの「回顧」展でもある。なぜなら彼はすでに亡くなっているからだ。

レン・ハン(Ren Hang, 任航)は1987年中国吉林省長春市に生まれ、2008年ごろから独学で写真家として活動を始め、また詩人としても作品を発表していた。鬱を患っていたことがわかっており、活動期間わずか10年ほどののち、2017年北京で自ら命を絶った。彼の写真の被写体となっているのは、主には恋人や友人、のちにはSNSで呼びかけ、あるいは自ら志願してくる若者たちだ。

 

作品の大半はヌードだ。写真に向かうと奇妙に配置されたモデルたちの身体が真っ先に目に入ってくる。ユーモアと若干のグロテスクさが混ざる構図に対し、モデルたちは無表情・無感情なままカメラを向いており、まるで意志のない存在であるかのようにも見える。あるいは意志がはぎ取られた存在か。

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そのポーズや構図自体に新しさがあるわけではない。レン・ハンの作品から他の写真家、例えばエドワード・ウェストンやライアン・マッギンレー、ギイ・ブルダンなど、を思い出すのは難しくない。実際展覧会にこれらの作家への言及がない点が指摘され、盗用と批判を受けている*1

  

しかし彼の死因が撮影でも使用していた北京のマンション屋上からの飛び降り自殺だと知り、心が冷たくざわめく。彼は、屋上や屋根の上、また宙に浮くモデルの姿を多く残しているからだ。

 

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池に身を沈め、あるいは地面に横たわり木の葉に埋もれる姿もあり、水面から顔を出すこの女性の写真は、ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』を想起させる。

 

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John Everett Millais, Public domain, via Wikimedia Commons


写真家が指揮し、代理人(モデル)が実行する死の予行演習だったのだとしたら。下記に紹介するドキュメンタリーで、モデルの一人が語る「普段見えない現象やイメージを露わにする、この世と違うものを感じる」という言葉が思い出される。窓から身を乗り出す写真は、未来の自身の姿が映し出されている。

 

ヌードとタブー

この展覧会は、中国人の友人と観に行った。彼女はレン・ハンと同年代であり、初めて彼の写真を見たときにはSNSを通じて本人に感動を伝えたほど彼の写真が好きだと話してくれた。彼女にとってレン・ハンの写真の何がそこまで衝撃だったか。それはヌードになることを受け入れた、あるいは自身から望んだ若いモデルたちの存在だという。

 

youtu.be

 

会場ではVICEが制作したドキュメンタリーが上映されており、レン・ハンが公園でゲリラ撮影をしたり、アパートの一室(自宅?)で壁紙を背景に撮影を行う様子が描かれている。

 

その中でレン・ハンはこのように語る。

 「なぜ僕が中国のタブーに挑戦するかって?ではなぜ中国のタブーは僕に挑戦しないのか」

「2つは平等の関係だと思う」

「中国が好き、僕を制約するからこそここにいたい」

  

赤を纏う

彼の作品には同じモチーフの反復が見られる。先の屋上や中に浮く姿などもその一つと言える。そしてもっと顕著なのが多くの写真に写りこむ赤色だ。口紅やネイル、下着やトランクケース、赤いコンドームの写真まである。

 

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赤とは何かと問うなら、それは生と死の両方を表しうる血の色であり、そして彼の母国である中国の色でもある。

先の彼の言葉を引くなら、写真家としての表現と祖国のタブーは平等関係にある。彼は祖国の色を纏うことを拒否しない。表現とアイデンティティは写真の中で共存している。

ドキュメンタリーの中で、モデルとなった女性が「彼の作品には一種の汚さがある、彼は性や身体から逃げないの、矛盾を併せ持った感じ」と語る。その共存こそが彼の写真の本質なのだろう。だからこそモデルになることを希望するのだから。

 

TASCHENから発売されたこれまた赤い表紙の写真集には、本人のコメントとして「世界は中国人をセックスをしないロボットのように思っているんじゃないかな、もちろん中国人にも性欲はある」という言葉があった。

www.taschen.com

 

その先入観に対し、性欲をゴリゴリに見せるのではなく、むしろ身体(さらに言えばアジア人の身体)の造形と身体が作る滑稽さを実験的に繰り返し記録し提示し続ける*2

  

今展覧会の共同キュレーターであるジャン=リュック・ソレ(Jean-Luc Soret)は、作品にあらわれる若者を、楽園を追放されこの地にたどり着いた「アダムとイヴ」と例えている*3。レン・ハンがやっていることは、彼らが身を覆い隠すいちぢくの葉を再び取り除くことなのだ。

 

死と生(性)、タブーと自由、ステレオタイプと現実。

その両極のいずれをも否定せず攻撃せず、すべて飲み込み生み落とされるレン・ハンの世界は、モデルとなった若者たちに自身の身体がどれだけの可能性を秘めているものなのかを伝えた。

しかしそれは彼自身を癒しはしなかった。彼の生きる世界の一歩外は、底の見えない深淵が広がっていたのだ。

「レン・ハンより、愛を込めて」という手紙の結びのようなタイトルを思い出す。多く愛を形にして残し、彼は永遠の飛翔へと旅立った。

 

レン・ハン「LOVE, REN HANG」
会期 2019/3/6-5/26
会場 ヨーロッパ写真美術館
キュレーター サイモン・ベイカー、ジャン=リュック・ソレ
URL https://www.mep-fr.org

*1:Le photographe Ren Hang accusé de plagiat

*2:ここが面白いのだが、彼は自身の影響にテリー・リチャードソンや荒木経惟を挙げている。レン・ハンの作品にこの両者にあるようなセンシュアルさやエネルギーは感じ取りがたい。だが、両者同様に非常に挑戦的・挑発的であるとは言える

*3:Objectif Chine : le renouveau de la photo