群島の日誌

フランスの展覧会感想や読んだ本の感想など。写真展と近代・現代アート中心の予定です。

エドモン・ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』/ 運命を分かち合う二人の男の生き様

仏文50チャレンジ第8回の感想は、第8位の『シラノ・ド・ベルジュラック』(光文社古典新訳文庫渡辺守章訳)についてです。

 

前回『アンチゴーヌ』の感想はこちらから。

guntou.hatenablog.com 

渡辺訳の密度がすごい

シラノ・ド・ベルジュラック』にはいくつか邦訳あるが、今回は先日他界された渡辺守章氏による新訳のものを読んだ。

 

なんと言っても、キレの良いこの訳が素晴らしい。そして本作に対する考察と翻訳の密度が凄まじい(書籍の3分の1が渡辺氏による訳注や解題に当てられている)。シラノの最後のセリフ“Mon panache”への訳などは、解説を読むことでイメージが適切に補完される。

渡辺氏はロスタンに、あるいはシラノになり代わり、圧倒的な熱量で読者の心を惹きつけている。

 

あらすじ

詩人であり武人でもあるシラノ・ド・ベルジュラックは、鼻が大きすぎるという欠点を持つ。一方、同じく武人であり美麗な容姿を持つクリスチャンには、まるで詩の才能がない。

シラノは密かに従姉妹のロクサーヌに恋心を抱きつつも、ロクサーヌとクリスチャンが両思いであることを知り、クリスチャンに欠ける詩的な文才を担い、ロクサーヌを喜ばせる優美な言葉の代筆者を引き受ける。

 

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初演翌年である1898年のポスター。すでにIMMENSE SUCCÈS(大盛況)と謳われている。 Lucien Métivet, Public domain, via Wikimedia Commons

 

シラノという人物像

あらすじにもあるように、シラノは詩の才能に溢れ、また剣客としても一目置かれる存在だ。この詩と剣において対照的なのは、シラノの友人であるラグノーだ。

 

ラグノー リーズは兵隊野郎が好きで、あっしは詩人大好きときている。

軍神マルスが、食ってしまったわけよ、アポロンの神の残し給うた菓子を全部! 

 

詩を愛し、シラノを尊敬するラグノーの語るこのセリフは、妻リーズが兵士と駆け落ちし、共に営んでいた居酒屋商売も失敗という不幸を、マルスアポロンを比喩に話している。

 

詩を重んじれば武が邪魔をしてしまう。 通常、このような対立関係にしたほうがわかりやすい「武人(マルス)」と「詩人(アポロン)」を、シラノは一個人の中に収めており、ラグノーの不憫はシラノを特異な存在として示すことに一役買っている。

 

しかし、文武に秀でた一方でシラノには大きすぎる鼻というコンプレックスがあり、シラノの自己肯定感は極めて低い。

 

そんな時には俺だって、月の光にそぞろ歩き、

一人ぐらいは、すがってくれる女性がほしい、

恍惚として、我が身を忘れて、つい──すると、庭の

壁には、俺の横顔が黒々と映っているのだ。 

 

まさか!泣きはしない!見られた様か、

こんな鼻を、涙が伝って流れる!

俺が身の程を忘れぬ限り、高貴な涙を

こんな卑しい醜い鼻で、汚させるような真似は

しない!……いいか、涙ほど高貴なものはないのだ、

ないのだぜ、この俺のために、一滴の涙でも

笑い物になることは、許せない!

 

などなど。

 

あるいは、自己肯定感が低いからこそ、道化的な振る舞いもでき、勇敢な武勇伝を生み出せるのかもしれない。シラノは、心にちょっとチクっとくるような共感を、現代の我々からも引き出すキャラクターだ。

 

クリスチャンという人物像

では一方のクリスチャンはどうか。

クリスチャンは、才智に乏しい美青年ではあるが、決して愚鈍ではなく、自分の欠点に自覚がありそれを嘆いている。

 

クリスチャン ああ、優美な言葉が語れたなら!

シラノ 颯爽たる美青年の士官であったら! 

 

俺は愛されたいのだ、俺自身として、そうでなけりゃ、

愛されないほうがいい!

 

物語は、クリスチャンとロクサーヌの恋愛をシラノが仲介する形で進んでいく。

が、実際には美辞の連なる手紙や言葉のやり取りで結ばれていくのはロクサーヌとシラノだ。彼女が向ける「魂の崇拝」の眼差しは、少しずつクリスチャンを透過し、その先にあるシラノへと至っていく。

 

渡辺氏の解題を読んでも思ったのだが、シラノの魂の高貴さを表すには、クリスチャンにも同様の高貴さが必要になる。そうでなければ、つまりクリスチャンがただの「間抜けな二枚目」である場合、「ロクサーヌの回心」や、結果あいだに残される「クリスチャンの絶望」、二人に対する「シラノの罪の意識」がぼやけたままになってしまい、シラノの「心意気」にも影を落としかねない*1

 

シラノとクリスチャンは、互いに欠けたものを持ち合う、いわば魂の片割れ同士なのではないだろうか。時間を隔てながらも、両者は共にロクサーヌと心を通わせることに成功する。しかし、それぞれに己を貫く彼らの生き様は、対比、反転、相似し、最終的に同じ結末へと至っている。両者の運命があらかじめ決められているようなこの展開は、本筋は英雄喜劇である今作に悲劇的な深さを加えている*2

 

おわりに

作者ロスタンの意図を読み取り、人物たちに命を吹き込む訳者の息吹は、まさに「羽根飾り(と書いて心意気と読む)」だろう。読むと生きたシラノたちを舞台で見たくなる。

 

そういえばロスタンがいかにシラノを生み出したかを、コメディーとして描いた映画が2019年に公開されている。元々舞台だった作品を映画化したもので、笑いどころ満載で最後は少し泣けてしまう。本作を先に読んでいた方がより楽しめるはずだ。

youtu.be

 

また、シラノはフランス南西部ガスコーニュ地方出身という設定で、同郷である『三銃士』のダルタニャンと同じく好戦的な性質を受け継いでいる。

名前にあるベルジュラックは、現在も町の名前として残っており、ワインの名産地として有名だ。にもかかわらず、作中で飲むワインがブルゴーニュなのは若干気になるところ。

本の内容と全く関係ないが、この地方のワインは何と合わせても美味しいので機会があればぜひお試しいただきたい。楽天で見ると結構色々扱っているよう。個人的には特にPécharmant(ペシャルマン)という銘柄がおすすめなのだけど、あまり取扱がないようで残念。

 

*1:渡辺氏の訳注を参考にした

*2:渡辺氏は解説内で、「精神分析的与件として言えば、三角関係で恋敵の関係にある男同士に、無意識的同性愛のリビドーが働くことは、今や一種の通念でもある」と指摘する