群島の日誌

フランスの展覧会感想や読んだ本の感想など。写真展と近代・現代アート中心の予定です。

ジャック・ケルアック『パリの悟り』/ 果ての地に始まりを探す旅

皆さんこんにちは。

今年も藤ふくろう氏(@0wl_man)の導きで、2年ぶりの開催となる海外文学 Advent Calendar 2022に参加することとなりました。

adventar.org

 

仏文50チャレンジは、いまだにプルーストの『失われた時を求めて スワン家のほうへ』を読んでいるところで、せっかくのプルースト没後100年という記念イヤーの波に全く乗ることができず、座礁してしまっています。年始にはなんとかしたい。

 

そのため今回は、仏文からは横道にそれますが、それでもフランスを通過するという視点から、ジャック・ケルアックの『パリの悟り』について感想を書いてみます。

和訳版が手に入らず、実際に読んだのは原著『Satori in Paris (Penguin Modern Classics)』の方。この文章を書いてる今知ったことですが、2022年はケルアック生誕100周年イヤーだった模様。

 

ちなみに今のところ一番最後の仏文50チャレンジ投稿である『夜の果てへの旅』の感想はこちらから。 

guntou.hatenablog.com

 

あらすじ

1965年ジャック・ケルアックは、自身の祖先の地であるブルターニュへ赴くべく、フロリダからフランス・パリに到着する。ビールとコニャックに身を浸しながら、出会う人々と何気ない(あるいは意味のない)会話をかわしながら、パリからフランス北西の果てにある町ブレストへと旅をする。物語を通じて大きな展開が描写されるわけではないが、ケルアックは人との交わりや会話の中で、ふと「悟り」のような意識の目覚めを経験する。

 

***

 

本当に最近のことだが、ジャック・ケルアック(Jack Kerouac)がフランス・ブルターニュにルーツがあることを知った。改めて考えるとハッとするのだが、Kerouacという名前は非常にブルトンな名前のように思う。「Ker」はブルトン語で「家」や「集落」という意味で目にする機会も多く、さらに「ック」という語尾もブルターニュの地名を想起させる。

さらに作中でも語られるが、彼の本名Jean-Louis Lebris de Kérouacにある「Lebris」とはまさに「ブルトン人」の意味する言葉が名前に転用されたものだ。

 

そんなケルアックが自身のルーツを求めてこの地を訪問する自伝的小説があると知り、これはと思い読んでみた。

 

ちなみにケルアックは1965年5月に実際にブレストを訪れており、本書はその時の体験をベースにしているが、決して旅行記やルーツを巡るルポではなく、あくまで小説という体裁で書かれている。

 

また、ケルアックは本の中で「物語とは繋がり・交わりを語るために存在し、宗教的な何かあるいは畏敬を教え、文学が表現すべき現実の生活・現実の世界について伝えるもの」と定義を説明している。

実は、この本には「物語とは何を語るものなのか」というこの定義を小説内で表現するメタ的(?)な要素もあるのではないかと感じており、それは最後に書いてみたい。

 

 

ブルターニュ

ケルアックのルーツがブルターニュにあるということは、(少なくともこの小説内で現れる)彼の人となりとの結びつきが認められる点で興味深い。

 

その一つは、酒だ。

フランス人が、ブルターニュの人々に抱くイメージの一つに「酒飲み」というものがある。

実際ワインやビールの消費量がフランス一なんだとか*1

(右上のワインと左下のビールの週間消費量で国内一位になっている)

 

小説内で、ケルアックはビールとコニャックを時間を問わず飲んでいる。

ブレストでは、朝食からビールを飲もうとしていてホテルのスタッフに「え、正気ですか?」と聞かれてしまうほどだ。(ただ私が観測する限り、ブルターニュに限らずフランスで朝からバーでビールを飲んでいる人は実際にいる。)


なおケルアックは、この旅の4年後、『Satori in Paris』出版の3年後となる1969年、長年のアルコール摂取がもたらした肝硬変を起因とする静脈瘤の出血によって亡くなっている。

 

そしてもう一つはカトリック信仰だ。

ブルターニュは、歴史的にフランス国内でもカトリック信仰が厚い地域として知られている。

そしてケルアックといえば、「悟り」という言葉にも現れるように仏教や東洋思想への傾倒というイメージをなんとなく持っていたが、保守的とも言われるほどのカトリックであった点も指摘されている。

実際、この作品の中でケルアックは、キリスト教の教えや聖書の言葉を引用している。

 

そういえば、ブレストで自分と同じの姓をもつ「Ulysse Lebris」に会った際の「スポンジの酢は、渇きを殺す」という言葉は気になった。この言葉は、磔刑のイエスの最後の言葉「渇く」と酢に浸した海綿を口に押し当てられるという場面を想起させる。英文だけではうまく理解できなかったので今後和訳を参考にしたい。

それにしても、遠い昔に血を分けたかもしれない相手に「Ulysse」つまり「オデュッセイア」の名前をつけている点は見落としてはいけない点だろう。実際にケルアックが訪問したのは、書店と編集を営む「Pierre Le Bris」という名前だったらしい。

 

またパリのサン・シャペル(Sainte Chapelle)にルイ9世が収集した聖遺物聖十字架のかけらがあることを知っていたり、地元マサチューセッツで洗礼を受けた教会と同じ名前のサン・ルイ教会(おそらくEglise Saint-Louis-en-l'Île)があることを知っており、教会を訪問したいという気持ちを口にするものの、結局訪問することはなく旅は終わる。

信仰と行動が一致しない点は何を表しているのだろう。

 

果ての地とジレンマ

ブルターニュには他の地域にはみられない、独特の顔があると思う。

いつまでも降り続く雨と風にさらされる、孤独で深くどこまでも続く森と海の顔。人はその隙間にひっそりと生きている。

こういう地で、妖精や魔法の幻想奇譚が生み出されるのはよくわかる。その意味では岩手県の遠野と同じかもしれない。

 

ケルアックが訪ねたブレストは、ブルターニュの最西端にあり、フランス最大の軍港を擁する人口14万人ほどの中規模都市だ。

ブレストを含む行政地区Finistèreは、Finis(終わりの)+ tère(大地)と、文字通り「果ての地」という意味になる。

 

『パリの悟り』では、祖先のルーツを遡り様々巡るということはなく、基本はパリとブレストでの滞在とその道中しか描かれていない。

 

ケルアックには、そういった都市の風景ではなく、そのさらに奥にあるブルターニュ的な果ての地の風景の方がより心を打ったのではないだろうか。街の喧騒の届かない、より孤独で、心と自然の境界が失われてしまうような、深い霧の風景が。

 

しかしこの本を読むと、それも少し違うのかという気もしてくる。

ケルアックは、孤独の中にありたいのではなく、なんとしても自分の孤独と向き合い、正しく対処し、どうにかしてそれを解消したかったのかもしれない。

 

この「ケルアックの失敗」というタイトルの記事を見つけ、興味深く読んだのだが、ケルアックはとにかくジレンマに悩まされていたようだ。

unherd.com

 

戦後のアメリカで生まれる新たな生き方に憧れる一方、両親から受け継いでしまった伝統的な価値観やカトリシズムを捨て去ることはできない(父親は「ブルトン人であることを忘れるな」とよく言っていたそうだ)。

 

もっと根源的なところでは、フランス系カナダ人としてフランス人地区で生まれ育ち、小学校で初めて英語を学んだという出自から、「真にアメリカ人の男にはなれない」という失望もある。

 

そのためカウンターカルチャーとしてアメリカ社会に広がる禅や、カウンターポリティクスである共産主義を批判する一方で、東洋思想へあえて傾倒してみるなど、記事内で「ナルシシスティックな分裂」と表現されるジレンマがあったようだ。先ほどの信仰と行動が一致しない点も、おそらくそこに起因しているのではないだろうか。

 

そしてそのジレンマは、アルコール摂取量を増加させ、心身を蝕むことになり、「道の果てに行き着くのは、始まりの場所に帰ることだけ」となり、ケルアックはマサチューセッツの母の元に戻ることになるのである。

 

始まりの場所を求めることは、やがて祖先のルーツの探究にまで至ることになる。先に書いたが、ブルターニュという出自は、同じく酒飲みのカトリックであるケルアックにとってある意味運命的なものとして映ったのではないだろうか。その結果生まれたのがこの『パリの悟り』なのだ。

 

(ケルアックが訪ねた当時のブレストの写真。物語に出てくるシアム通りが写っている。*2

 

悟りとは

結局のところ、「悟り」とはいったい何であったのだろう。

 

小説の冒頭に、フランス滞在中「突然の目覚め」を得た様々な場面が列記されているが、その最初には「アメリカ帰国のためパリからオルリー空港に向かう際のタクシードライバー、レイモン・バイエ(Raymond Baillet)から渡された」とある。

 

そのレイモン・バイエが出てくるのは小説の一番最後。ケルアックを乗せ、一緒にビールを飲み、その後空港まで送り、そして別れるだけの存在なのだ。

 

二人が交わす最後の会話を見てみると、

 

バイエ

「今日は日曜日だってのに俺は妻と子供を養うために働いているんだ。で、あんたから子供が20人やら25人やらいるケベックの家族の話を聞いたけど、それは多すぎさ。俺は二人だけ。でも働かないと。そうさ。これもやってあれもやって。ムッシューの言う通り、ディスもザットもさ。とにかく、ありがとう。元気で。俺は行くよ。」

 

ケルアック

「さようなら、ムッシューレイモン・バイエ」

 

これが1ページ目に書いた悟りのタクシードライバーだ。

神が「私は生かされている」と言うとき、俺たちはそれまでの別れがなんだったかみんな忘れちまっている。

 

とある。

 

ここで、最初に記したケルアックによる文学の定義が想起させられる。

「物語とは繋がり・交わりを語るために存在し、宗教的な何かあるいは畏敬を教え、文学が表現すべき現実の生活・現実の世界について伝えるもの」

 

バイエは「現実の生活、現実の世界」について話している。よく知られているがフランスでは日曜日は休息の日だ。それでも家族を養うために彼は働かなくてはならない。

 

現実について、そして人と繋がることについて伝えるということ。バイエの存在と言葉は、その芯をついている。

『パリの悟り』という作品自体が、繋がりを求めフロリダからフランスまでやってきた男が様々な霊感を得ながら、現実についてその厳しさも合わせて伝えている物語なのだ。

結局それこそが「悟り」なのだろう・・・か。

 

残念ながら、最後の「神が「私は生かされている(I Am Lived)」と言うとき・・・」という文は、まだ理解し切れていない。ケルアックはバイエの言葉から、宗教的な解釈を導いているのだと思うのだけど、そもそも「I Am Lived」はどこからの引用なのだろう。

 

また面白いのは、バイエはフランスの中南部オーヴェルニュ(Auvergne)出身だという。

それまで旅したブルターニュはいったいどこに行ってしまったのか。

 

しかしそれで良いのだ。

 

ルーツを同じくするものだけが自分の心を温めてくれるわけではない。

偶然出会いわずか数時間だけを共にした誰かが、繋がりを、悟りをもたらすことだってあるのだから。

 

最後に

以下の文章2つは、本の中でとても気に入ったのでぜひ引用してみたい。

 

Yet this book is to prove that no matter how you travel, how ‘successful’ your tour, or foreshortened, you always learn something and learn to change your thoughts.

 

「うまく進もうが短くなろうが、どんな旅であれ、お前はいつも何かを学び、自分の考えを変えることを学ぶ。この本はそれを証明するものだ。」

 

As I grew older I became a drunk. Why? Because I like ecstasy of the mind. I’m a Wretch. But I love love.

 

「歳をとるにつれ、酒飲みになった。なぜだろう。それは、意識による恍惚が好きだからだ。俺は哀れなやつだな。でも愛っていうものが好きなんだ。」

 

ブルターニュの深い森や海とケルアックがどう対峙するのだろうと想像していたら、まるで違うほぼ都市の話だったので笑ってしまったのだが、フランス文学とは違う勢いやリズムがあり、あっという間に読める内容だった。

ケルアックは他にも、フランス系アメリカ人のアイデンティティを軸とした作品もあるようで、他の作品も読んでみたい。