群島の日誌

フランスの展覧会感想や読んだ本の感想など。写真展と近代・現代アート中心の予定です。

レン・ハン写真展「LOVE, REN HANG」/身を覆い隠すいちぢくの葉を取り除く

If life is a bottomless chasm, when I jump the endless fall will also be a way of flying

ーもし人生が底なしの深淵であるならば、永遠の転落は飛翔にも成り得る

 

もう2年近く前になるが、パリのヨーロッパ写真美術館(MEP)で中国の写真家レン・ハンの写真展「Love, Ren Hang」が開催されていた。テート・モダンのキュレーターだったサイモン・ベイカー(Simon Baker)がMEP新館長に就任後最初の展覧会であり、今でもとても印象に残っているので、メモや文章を見ながら思い出して書いてみる。 

 

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レン・ハンとは

この展覧会は写真家レン・ハンの「回顧」展でもある。なぜなら彼はすでに亡くなっているからだ。

レン・ハン(Ren Hang, 任航)は1987年中国吉林省長春市に生まれ、2008年ごろから独学で写真家として活動を始め、また詩人としても作品を発表していた。鬱を患っていたことがわかっており、活動期間わずか10年ほどののち、2017年北京で自ら命を絶った。彼の写真の被写体となっているのは、主には恋人や友人、のちにはSNSで呼びかけ、あるいは自ら志願してくる若者たちだ。

 

作品の大半はヌードだ。写真に向かうと奇妙に配置されたモデルたちの身体が真っ先に目に入ってくる。ユーモアと若干のグロテスクさが混ざる構図に対し、モデルたちは無表情・無感情なままカメラを向いており、まるで意志のない存在であるかのようにも見える。あるいは意志がはぎ取られた存在か。

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そのポーズや構図自体に新しさがあるわけではない。レン・ハンの作品から他の写真家、例えばエドワード・ウェストンやライアン・マッギンレー、ギイ・ブルダンなど、を思い出すのは難しくない。実際展覧会にこれらの作家への言及がない点が指摘され、盗用と批判を受けている*1

  

しかし彼の死因が撮影でも使用していた北京のマンション屋上からの飛び降り自殺だと知り、心が冷たくざわめく。彼は、屋上や屋根の上、また宙に浮くモデルの姿を多く残しているからだ。

 

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池に身を沈め、あるいは地面に横たわり木の葉に埋もれる姿もあり、水面から顔を出すこの女性の写真は、ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』を想起させる。

 

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John Everett Millais, Public domain, via Wikimedia Commons


写真家が指揮し、代理人(モデル)が実行する死の予行演習だったのだとしたら。下記に紹介するドキュメンタリーで、モデルの一人が語る「普段見えない現象やイメージを露わにする、この世と違うものを感じる」という言葉が思い出される。窓から身を乗り出す写真は、未来の自身の姿が映し出されている。

 

ヌードとタブー

この展覧会は、中国人の友人と観に行った。彼女はレン・ハンと同年代であり、初めて彼の写真を見たときにはSNSを通じて本人に感動を伝えたほど彼の写真が好きだと話してくれた。彼女にとってレン・ハンの写真の何がそこまで衝撃だったか。それはヌードになることを受け入れた、あるいは自身から望んだ若いモデルたちの存在だという。

 

youtu.be

 

会場ではVICEが制作したドキュメンタリーが上映されており、レン・ハンが公園でゲリラ撮影をしたり、アパートの一室(自宅?)で壁紙を背景に撮影を行う様子が描かれている。

 

その中でレン・ハンはこのように語る。

 「なぜ僕が中国のタブーに挑戦するかって?ではなぜ中国のタブーは僕に挑戦しないのか」

「2つは平等の関係だと思う」

「中国が好き、僕を制約するからこそここにいたい」

  

赤を纏う

彼の作品には同じモチーフの反復が見られる。先の屋上や中に浮く姿などもその一つと言える。そしてもっと顕著なのが多くの写真に写りこむ赤色だ。口紅やネイル、下着やトランクケース、赤いコンドームの写真まである。

 

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赤とは何かと問うなら、それは生と死の両方を表しうる血の色であり、そして彼の母国である中国の色でもある。

先の彼の言葉を引くなら、写真家としての表現と祖国のタブーは平等関係にある。彼は祖国の色を纏うことを拒否しない。表現とアイデンティティは写真の中で共存している。

ドキュメンタリーの中で、モデルとなった女性が「彼の作品には一種の汚さがある、彼は性や身体から逃げないの、矛盾を併せ持った感じ」と語る。その共存こそが彼の写真の本質なのだろう。だからこそモデルになることを希望するのだから。

 

TASCHENから発売されたこれまた赤い表紙の写真集には、本人のコメントとして「世界は中国人をセックスをしないロボットのように思っているんじゃないかな、もちろん中国人にも性欲はある」という言葉があった。

www.taschen.com

 

その先入観に対し、性欲をゴリゴリに見せるのではなく、むしろ身体(さらに言えばアジア人の身体)の造形と身体が作る滑稽さを実験的に繰り返し記録し提示し続ける*2

  

今展覧会の共同キュレーターであるジャン=リュック・ソレ(Jean-Luc Soret)は、作品にあらわれる若者を、楽園を追放されこの地にたどり着いた「アダムとイヴ」と例えている*3。レン・ハンがやっていることは、彼らが身を覆い隠すいちぢくの葉を再び取り除くことなのだ。

 

死と生(性)、タブーと自由、ステレオタイプと現実。

その両極のいずれをも否定せず攻撃せず、すべて飲み込み生み落とされるレン・ハンの世界は、モデルとなった若者たちに自身の身体がどれだけの可能性を秘めているものなのかを伝えた。

しかしそれは彼自身を癒しはしなかった。彼の生きる世界の一歩外は、底の見えない深淵が広がっていたのだ。

「レン・ハンより、愛を込めて」という手紙の結びのようなタイトルを思い出す。多く愛を形にして残し、彼は永遠の飛翔へと旅立った。

 

レン・ハン「LOVE, REN HANG」
会期 2019/3/6-5/26
会場 ヨーロッパ写真美術館
キュレーター サイモン・ベイカー、ジャン=リュック・ソレ
URL https://www.mep-fr.org

*1:Le photographe Ren Hang accusé de plagiat

*2:ここが面白いのだが、彼は自身の影響にテリー・リチャードソンや荒木経惟を挙げている。レン・ハンの作品にこの両者にあるようなセンシュアルさやエネルギーは感じ取りがたい。だが、両者同様に非常に挑戦的・挑発的であるとは言える

*3:Objectif Chine : le renouveau de la photo