群島の日誌

フランスの展覧会感想や読んだ本の感想など。写真展と近代・現代アート中心の予定です。

ステファヌ・ラヴエ写真展「Hent」/ブルトンの静かな祈り(2020年ベスト展覧会)

今年フランスは2回のロックダウンにより、展覧会やアートフェアは中止が相次ぎ、美術館は現時点でも人の集まりを避けるため閉鎖を余儀なくしている。

それでも、ロックダウンの合間に運良くタイミング良く訪れた中で、夏にブルターニュの港町で見たステファヌ・ラヴエ(Stéphane Lavoué)の写真展「Hent」はとても感動する内容だったので2020年ベストとして紹介したい。

 

フランスの写真家ステファヌ・ラヴエは、主に政治家や著名人のインタビュー時のポートレイトで活躍を続け、Libérationをはじめ国内外メディアに記事と共に写真が掲載されている。

ラヴエの展覧会「Hent」が開催されていたのは、フランス北西部ブルターニュ地方のさらに西端にあるドゥアルヌネ(Douarnenez)という港町だ。Hentはブルトン語で「道」を意味するという。

今回の展示では、コミッションワークである著名人のポートレイトと、ラヴエが自身のプロジェクトとして行っているブルターニュの人々と風景を撮影した作品が紹介されており、この後者が非常に心を打つものだった。

 

まずメインヴィジュアルにも使用されているこの写真。正直最初に見たときは修道僧の写真かと見間違えたほど、厳粛な佇まいを帯びている。

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©︎ Stéphane Lavoué


フードの男性のイメージや虚空を見つめる視線は、アシジのフランチェスコを彷彿とさせるが、これは僧衣ではなくパーカーであり、右肩にかかっているつなぎのストラップに作業着メーカーGuy Cottenのロゴが見えている。

 

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左はエル・グレコ派の画家による作品、右は現存最古の聖フランチェスコ像。

(左)Follower of El Greco, Public domain, via Wikimedia Commons

(右)Parzi, Public domain, via Wikimedia Commons


もう一つ、上の写真と対となっているかのようなこの写真。

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©︎ Stéphane Lavoué

白い作業着で顔以外を覆う姿は修道女のようでもあるが、こちらは胸のエプロンに書かれた「Lorie」という彼女の名前が、イメージを世俗から切り離さない楔となっている。

 

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ルネサンス初期の祭壇画、自然体な中央のマリアはLorieの構図と近しい。

©︎ Digital image courtesy of the Getty's Open Content Program


ラヴエは幼少期から17世紀のフランドル派画家に親しんでいたそうだ。強めのコントラストで被写体を画面から浮き上がらせつつも、カラヴァッジオほどの動的・劇的な構図は使用せず、正面から自然な姿にレンズを向けるような作風には共通点が見出せるだろう。

また写真家を志したきっかけとして、ブラジルで生活していた際に見たセバスチャン・サルガド(Sebastião Salgado)の存在を公言しており、その影響も納得がいく。

さらに、ブルターニュが歴史的にカトリックの影響が強い地域であることを考えても、このような人物描写へ至るのはとても興味深く、また自然なことのように感じる。

 

ブルターニュは伝統的に北大西洋での漁業が主要産業の一つとして位置しており、特に西部のフィニステール県は、フランス国内漁獲量の3分の1を占めているという*1。ちょうどこの年末には、Brexitでの漁業権が議論されていた。

 

フランス人であると同時にブルトン人としてのアイデンティティも存在し、失われかけている言語・文化を持つこの地で、漁業や関連産業に従事する彼らはフランスにおける周縁であり、果ての存在だ。

荒波が防波堤を超えようとも、その地に留まり続けるには、苦難を受入れ日々を生き抜くための何か「祈り」のようなものが必要ではないだろうか。

ラヴエは、船や港そのものではなく、そこに生き仕事をする人々を被写体とすることで、彼らの静かな「祈り」が、そしてその祈念が満ちる彼らの「王国」が姿を表し、見る者の心にそっと沈んでいく。

それは、2020年唯一の素晴らしい写真体験だった。

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©︎ Stéphane Lavoué

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©︎ Stéphane Lavoué

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©︎ Stéphane Lavoué

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©︎ Stéphane Lavoué

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©︎ Stéphane Lavoué

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©︎ Stéphane Lavoué

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©︎ Stéphane Lavoué

 

 

ステファヌ・ラヴエ「Hent」
会期 2020/6/22-2021/10/30
会場 Port-musée de Douarnenez
URL www.port-musee.org

フランス文学ベスト50を全て読んでみるというチャレンジについて

前回、最初の投稿として『赤と黒』の感想を書いた。

これは去年あたりからゆるりと始めた「フランス文学ベスト50読破チャレンジ」に従って読んだものだった。

始めた理由は、この国をより知る手がかりになると思ったことと、あと読んだことのない作品、特に複数巻出ているような作品を読み通すには何か後押しになるような勢いが必要と思ったことだ。

 

参考にしたのは、こちらのサイト。Top des meilleurs classiquesなので、仏文学の古典・名作をさらに絞り込んだものだろうか。

 

www.senscritique.com

 

今見ると、私が確認した時から順位が若干変化している。参加者の投票等が随時反映される仕様なのかも。

順位の正当性についてはひとまず横に置いて、パッとみて知っているタイトルがそこそこ含まれていること、また「20世紀の〜」など時代限定ではなく、幅広く含まれていることを基準に選んだ。

あと、50冊ちゃんと読破するにはそこそこ楽しみの要素もないと難しいと思い、刊行年順ではなく、ランキング形式のリストを選んでいる。

 

去年確認した時点での順位を以下に表組みしてみた。(HTMLでテーブルを作ったんだけど、他に方法ないのだろうか・・・?) 

 

  タイトル 作者 刊行年
1 悪の華 シャルル・ボードレール 1857
2 レ・ミゼラブル ヴィクトル・ユーゴー 1862
3 異邦人 アルベール・カミュ 1942
4 危険な関係 ピエール・ショデルロ・ド・ラク 1782
5 星の王子さま アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 1943
6 夜の果てへの旅 ルイ=フェルディナン・セリーヌ 1932
7 ボヴァリー夫人 ギュスターヴ・フローベール 1857
8 シラノ・ド・ベルジュラック エドモン・ロスタン 1897
9 赤と黒 スタンダール 1830
10 ベラミ ギ・ド・モーパッサン 1885
11 カンディード、あるいは楽天主義 ヴォルテール 1759
12 モンテ・クリスト伯 アレクサンドル・デュマ・ペール 1844
13 三銃士 アレクサンドル・デュマ・ペール 1844
14 日々の泡 ボリス・ヴィアン 1947
15 アンチゴーヌ ジャン・アヌイ 1944
16 失われた時を求めて マルセル・プルースト 1927
17 寓話 ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ 1678
18 ジェルミナール エミール・ゾラ 1885
19 ゴリオ爺さん オノレ・ド・バルザック 1835
20 ノートルダム・ド・パリ ヴィクトル・ユーゴー 1831
21 ペスト アルベール・カミュ 1947
22 フェードル ジャン・ラシーヌ 1677
23 オルラ ギ・ド・モーパッサン 1887
24 スワン家のほうへ マルセル・プルースト 1913
25 死刑囚最後の日 ヴィクトル・ユーゴー 1829
26 ドン・ジュアン モリエール 1665
27 ボヌール・デ・ダム百貨店 エミール・ゾラ 1883
28 海底二万里 ジュール・ヴェルヌ 1869
29 居酒屋 エミール・ゾラ 1877
30 感情教育 ギュスターヴ・フローベール 1869
31 女の一生 ギ・ド・モーパッサン 1883
32 ル・シッド ピエール・コルネイユ 1637
33 ガルガンチュワ物語 フランソワ・ラブレー 1534
34 守銭奴 モリエール 1668
35 ランボー全詩集 アルチュール・ランボー 1895
36 静観詩集 ヴィクトル・ユーゴー 1856
37 幻滅 オノレ・ド・バルザック 1839
38 マルドロールの歌 ロートレアモン伯爵 1869
39 アンドロマック ジャン・ラシーヌ 1667
40 クレーヴの奥方 ラファイエット夫人 1678
41 パリの憂鬱 シャルル・ボードレール 1869
42 アルコール ギヨーム・アポリネール 1913
43 ロレンザッチョ ルフレッド・ド・ミュッセ 1834
44 あら皮 オノレ・ド・バルザック 1831
45 パルムの僧院 スタンダール 1839
46 獣人 エミール・ゾラ 1890
47 運命論者ジャックとその主人 ドゥニ・ディドロ 1778
48 グラン・モーヌ アラン=フルニエ 1913
49 八十日間世界一周 ジュール・ヴェルヌ 1873
50 テレーズ・ラカン エミール・ゾラ 1867

 

作家別に見るとエミール・ゾラが5作で最多、次点はヴィクトル・ユーゴーの4点、バルザックモーパッサンがその後に続く。

 

年代では19世紀の作品が29作と半分以上を占め、逆に『ローランの歌』など中世の作品はランク入りしていない。最も古い作品は、1534年刊行のフランソワ・ラブレー『ガルガンチュワ物語』、最も新しい作品は1947年刊行のボリス・ヴィアン『日々の泡』とアルベール・カミュ『ペスト』と、戦後以降の作品もほぼ含まれていないようだ。この辺は20世紀くくりのリストを探すのが良さそう。

 

さて改めてリストを見ると、『危険な関係』ってそんなに上なの?と早速疑問もあるが、むしろそういった発見が、ノートの隅に書き留めるメモ書きのように、余白を少しずつ埋めていく読み方・進め方ができればいいような気がする。

 

なんといっても最初の難関は16位の『失われた時を求めて』だろうか。以前に読んだ時、とりあえずマドレーヌのところまで読もうと思ったら、そこまでの道のりが既に険しくて、紅茶に浸したのを確認した瞬間、残りを読むモチベーションも融解してしまった。なぜか24位に『スワン家のほうへ』が単独でランク入りしているので、1巻ずつ読むのもありかもしれない。

 

あと『ガルガンチュワ物語』は「挫折した海外文学選手権」に見事入賞しているようなので、これも厳しい山となるだろう。

owlman.hateblo.jp

 

読書家の方であれば、50冊をどのくらいのペースで読むのだろう。1週間に1タイトルでも約1年はかかるのだから、そこそこの分量なのだろう。

情報量が多すぎてもはやガヴローシュ登場以前の物語を忘れつつある『レ・ミゼラブル』の感想を書くのもなかなか大変そうだが、まずは半分を目指して、ゆるく続けていきたい。

 

ちなみに今は10位のギ・ド・モーパッサン『ベラミ』を読んでいる。また、美男子が女性を利用して成り上がるストーリーが始まってしまい、Kindleを持つ手が震えている。

www.amazon.co.jp

スタンダール『赤と黒』

皆さんこんにちは。友人である藤ふくろう氏(@0wl_man)の導きで海外文学・ガイブンAdvent Calendar 2020に参加することとなりました。

 

 

初めはTwitterでと考えていましたが、さすがは近代フランス文学の名作、数ツイートでは収まらない気がし、一つブログを立ち上げることにしました。

ということで、第1回の感想はスタンダール赤と黒』(新潮社、小林正訳)です。

(以降、だ・である調で記します、また物語の結末にも触れています)。

 

赤と黒』とマクロン大統領

赤と黒』は、知性と美貌、そして高い野心と自尊心によって、上流社会へ成り上がり、そして転落するジュリアン・ソレルの物語だ。

家庭教師を請け負ったレナール町長一家の夫人を誘惑し、その後秘書として仕えるラ・モール侯爵の娘マチルドを攻略し、見事貴族に列せられる。しかしレナール夫人からの告発により状況が一変、最終的には処刑されるに至る転落を見せ、終わりを迎える。

 

読んでいると、ジュリアンに重なる人物として現フランス大統領エマニュエル・マクロンが頭に浮かんでくるのだが、そのマクロンの公式ポートレイトに『赤と黒』が写っているのだとか。

 

 

写真左側の開いた本がシャルル・ド・ゴールの『大戦回顧録』、右側置き時計前の2冊が、アンドレ・ジッド『地の糧』とこの『赤と黒』だそう。実際マクロンスタンダールとジッド好きを公言している*1

 

今のフランスで、社会を上昇し辿り着く頂点の一つは大統領だ。自身の教師であった夫人ブリジットとの恋愛エピソードはもとより、地方からパリにのぼり、エリート街道を突き進み政治のトップの座を獲得した若きマクロンを、ジュリアン・ソレルを結びつけるのは難しくない。さらにいうならば、スタンダール/ジュリアンが表す共和的信念への賛同というある種の政治的宣言としてみても良いかもしれない。

  

王政復古への批判の眼差し

本を読むにあたり、フランス革命の流れを押さえた方が良いと思い、Wikipediaを見つつ大雑把にだがまとめてみた。

1789年 バスティーユ襲撃

1792年 8月10日事件により王権停止、第一共和制開始

1804年 ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位、第一帝政開始

1814年 ナポレオン退位、エルバ島へ追放。その後ルイ18世が復位、王政復古

1830年 七月革命によりルイ・フィリップが即位。11月『赤と黒』発表

1848年 二月革命によりルイ=ナポレオン(のちのナポレオン三世)が大統領に選出、第二共和制開始 

 

赤と黒』は、そのストーリー内でも王政復古を迎えたフランスを時代背景としている。

亡命していた貴族や聖職者たちが、ようやくかつての椅子に収まりながらも、いつ再び革命の刃が向けられるかわからない不安の存在も描かれている。

 

あの青年連中には、国家がくつがえろうと、くつがえるまいと、どうでもいいのだ。枢機卿にでもなって、ローマへ逃げていけばいいのだから。ところが、われわれのほうは自分の別荘にでもいるところを、百姓どもに惨殺されることになるのだ

 

この不安定な情勢ゆえに根回しや結託、談合を図る貴族や聖職者、共闘関係にあるブルジョワジーを軽蔑しあるいは退屈しあるいは振り回されているのが、ジュリアン、レナール夫人、そしてマチルドの3人だ。

第一階級への批判を代弁し、冷ややかな視線を向ける彼らは、自由主義・共和主義者である作者スタンダールの分身のようにも見えてくる。

 

「自尊心の権化」マチルド

この物語に特に深みをもたらすのは、ジュリアンをして「自尊心の権化」と言わしめるマチルドの存在と、その自尊心ゆえ生まれ固守されるジュリアンへのナルシシスティックな愛情だ。

 

暗がりでやわらかな土を手探りでならしながら、あとがきれいに消えたかどうか調べていると、なにか手の上にばさりと落ちた。マチルドが髪の片がわをそっくり切り落して、投げてよこしたのだった。

彼女は窓辺から、かなり高い声でいった。

「あなたの召使からのおくりものよ。永遠の服従のしるしなの。これからは理性的に考えないようにします。あたしの主人になって!」

 

逢引きがバレないよう急いで梯子を「降り」痕跡を消そうとするジュリアンに対し、マチルドは今いる「高み」から、永遠の服従のしるしを「投げ落とす」。服従する側がされる側にそのしるしを拾わせるというこの構図は、この時誰が主導権を握っているかという二人の立ち位置を明確に表している。

 

しかし、この「服従」が偽りだったかと言えばそうではない。彼女の誓いは揺らぐことはあっても、またジュリアンが最終的に自分ではない女性への愛を選ぶとしても、最後まで貫かれている。

共有されたプロトコルによる同質性が貴族を貴族たらしめるのに対し、マチルドのこの揺らぎと理想は、他の貴族が持ち合わせない「個」としての意志に基づいている。ただその貴族枠から抜け出そうとするのではなく、その仕組みを最大限利用してやろうとする野心に彼女の強かさを見ることができる。

ナイーヴで世間知らずな少年性をうちに抱えるジュリアンに対し、出自が全面的に援護する強烈な我の強さを見せつけるマチルドは作中において実に魅力的であり、新しい風を物語に招いている。

 

「材木屋の息子」といえば

ところで、材木屋(Charpentier、つまりカーペンター)の息子というジュリアンの出自は、当然イエスを想起させる。スタンダールの母がモデルとなり、ジュリアンの死後に他界することが描写されるレナール夫人は聖母のポジションになるだろうか。

そうするとマチルドはいかなる存在となるか、以下に非常に興味深い一文が書かれている。

 

いっこう酬いられるところのない神父のいる、ほんとうのキリスト教のうちになら、ことによればあるかもしれない。……だが聖パウロでさえ、命令したり、話したり、人の口にのぼったりする楽しみで、酬いられていたのだ

 

これは獄中のジュリアンの口から語られる、スタンダールキリスト教観あるいは当時の聖職者への批判でもあると思うが、ここにマチルドを重ねてみても良いかもしれない。

 

マチルドは、愛人であった祖先ボニファス・ド・ラ・モールの首を自ら貰い受けたと言う王妃マルグリット(マルゴ)のような誇り高い愛情の貫きを理想としている。これは彼女の本名が、マチルド=マルグリット・ラ・モールである点にも強調されている。

自身に釣り合わない生まれであるジュリアンと添い遂げようとするのは、一つには彼への愛情だが、もう一つには現在の貴族が誰も持ち得ない理想を掲げる自身の「自己実現のため」と言う利己的な一面も感じられる。

 

先の服従を誓うシーンの前に当たるのだが、以下にもその点があらわれている。

 

《ジュリヤンのようなひとの妻になったら、あたしはたえず世間の注目の的となるだろうし、世の中から忘れられて暮すことはないだろう。従姉妹のように、しじゅう革命をおそれたりするもんですか。(略)あたしはそうじゃない、必ず、なんらかの役割、それも大きな役割を演じてみせる。なにしろ、あたしの選んだひとは気概もあり、限りない野心をもっているんだもの。あのひとに欠けているのはなにかしら?お友達?お金?そんなものは、あたしがあげる》

 

結果、王妃マルゴのように、処刑されたジュリアンの首を抱え、故郷ヴェリエールを見おろす大きな山の中の洞穴に自ら首を埋葬し、さらに参列者に金をばら撒き、自費で大理石の像まで建てる。

マチルドは、ジュリアンから最終的に選ばれはしなかった。が、このような計らいにより、ジュリアンに貴族として(あるいはマチルドの夫として)相応しい葬送を行う。これは首が地に触れるまで転落したジュリアンの最後の上昇=成り上がりだ*2

 

作中に描写はないが、おそらくはジュリアンと共に彼女自身も、聖パウロのように「人の口にのぼる」存在となったのだろう。これにより、彼女は「ジュリアンの使徒」という立場を獲得するに至り、こうしてマチルドは理想と愛情を共に成就したのではないだろうか。そういえば聖セシリアや聖カタリナなど、初期キリスト教で列聖された聖人に、貴族や裕福な家庭出身者がいることも合わせてみても面白いかもしれない。

 

おわりに

この感想は下巻から登場するマチルドのエピソードを主に書いているが、上巻はレナール夫人との情事が中心となっている。夫であるレナール氏に自分たちの関係がバレそうになった際の、覚醒した夫人の策士ぶりも非常に面白い。

 

どの角度から読んでも面白いし意見が出しやすいと思うので、中学・高校の授業で教材として読み続けられているという理由もわかる気がする。現大統領にも引用することにも表れている通り、今なお規範として生き続ける作品なのだろう。

 

赤と黒』と聖書との関連は、スタンダール研究者の下川茂氏が書籍を刊行しており、こちらも読んでみたい。

www.amazon.co.jp

*1:Portrait officiel d'Emmanuel Macron : quels sont les trois livres qui trônent sur le bureau du président ? | LCI

*2:この点は下川茂氏の論を参考にした→こちら。ちなみに、通夜の間ジュリアンの遺体は「床の上の大きな青い外套」に包まれていた、とある。パリの貴族の勲章であり、道ですれ違う相手に頭を垂れさせる最強アイテムである「青綬章(コルドンブルー)」と同じ色、あるいはラ・モール邸のサロンで貴族が集まる青い長椅子と同じ色であるのは、ジュリアン最後の上昇に一役買う皮肉な伏線だ