群島の日誌

フランスの展覧会感想や読んだ本の感想など。写真展と近代・現代アート中心の予定です。

スタンダール『赤と黒』

皆さんこんにちは。友人である藤ふくろう氏(@0wl_man)の導きで海外文学・ガイブンAdvent Calendar 2020に参加することとなりました。

 

 

初めはTwitterでと考えていましたが、さすがは近代フランス文学の名作、数ツイートでは収まらない気がし、一つブログを立ち上げることにしました。

ということで、第1回の感想はスタンダール赤と黒』(新潮社、小林正訳)です。

(以降、だ・である調で記します、また物語の結末にも触れています)。

 

赤と黒』とマクロン大統領

赤と黒』は、知性と美貌、そして高い野心と自尊心によって、上流社会へ成り上がり、そして転落するジュリアン・ソレルの物語だ。

家庭教師を請け負ったレナール町長一家の夫人を誘惑し、その後秘書として仕えるラ・モール侯爵の娘マチルドを攻略し、見事貴族に列せられる。しかしレナール夫人からの告発により状況が一変、最終的には処刑されるに至る転落を見せ、終わりを迎える。

 

読んでいると、ジュリアンに重なる人物として現フランス大統領エマニュエル・マクロンが頭に浮かんでくるのだが、そのマクロンの公式ポートレイトに『赤と黒』が写っているのだとか。

 

 

写真左側の開いた本がシャルル・ド・ゴールの『大戦回顧録』、右側置き時計前の2冊が、アンドレ・ジッド『地の糧』とこの『赤と黒』だそう。実際マクロンスタンダールとジッド好きを公言している*1

 

今のフランスで、社会を上昇し辿り着く頂点の一つは大統領だ。自身の教師であった夫人ブリジットとの恋愛エピソードはもとより、地方からパリにのぼり、エリート街道を突き進み政治のトップの座を獲得した若きマクロンを、ジュリアン・ソレルを結びつけるのは難しくない。さらにいうならば、スタンダール/ジュリアンが表す共和的信念への賛同というある種の政治的宣言としてみても良いかもしれない。

  

王政復古への批判の眼差し

本を読むにあたり、フランス革命の流れを押さえた方が良いと思い、Wikipediaを見つつ大雑把にだがまとめてみた。

1789年 バスティーユ襲撃

1792年 8月10日事件により王権停止、第一共和制開始

1804年 ナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位、第一帝政開始

1814年 ナポレオン退位、エルバ島へ追放。その後ルイ18世が復位、王政復古

1830年 七月革命によりルイ・フィリップが即位。11月『赤と黒』発表

1848年 二月革命によりルイ=ナポレオン(のちのナポレオン三世)が大統領に選出、第二共和制開始 

 

赤と黒』は、そのストーリー内でも王政復古を迎えたフランスを時代背景としている。

亡命していた貴族や聖職者たちが、ようやくかつての椅子に収まりながらも、いつ再び革命の刃が向けられるかわからない不安の存在も描かれている。

 

あの青年連中には、国家がくつがえろうと、くつがえるまいと、どうでもいいのだ。枢機卿にでもなって、ローマへ逃げていけばいいのだから。ところが、われわれのほうは自分の別荘にでもいるところを、百姓どもに惨殺されることになるのだ

 

この不安定な情勢ゆえに根回しや結託、談合を図る貴族や聖職者、共闘関係にあるブルジョワジーを軽蔑しあるいは退屈しあるいは振り回されているのが、ジュリアン、レナール夫人、そしてマチルドの3人だ。

第一階級への批判を代弁し、冷ややかな視線を向ける彼らは、自由主義・共和主義者である作者スタンダールの分身のようにも見えてくる。

 

「自尊心の権化」マチルド

この物語に特に深みをもたらすのは、ジュリアンをして「自尊心の権化」と言わしめるマチルドの存在と、その自尊心ゆえ生まれ固守されるジュリアンへのナルシシスティックな愛情だ。

 

暗がりでやわらかな土を手探りでならしながら、あとがきれいに消えたかどうか調べていると、なにか手の上にばさりと落ちた。マチルドが髪の片がわをそっくり切り落して、投げてよこしたのだった。

彼女は窓辺から、かなり高い声でいった。

「あなたの召使からのおくりものよ。永遠の服従のしるしなの。これからは理性的に考えないようにします。あたしの主人になって!」

 

逢引きがバレないよう急いで梯子を「降り」痕跡を消そうとするジュリアンに対し、マチルドは今いる「高み」から、永遠の服従のしるしを「投げ落とす」。服従する側がされる側にそのしるしを拾わせるというこの構図は、この時誰が主導権を握っているかという二人の立ち位置を明確に表している。

 

しかし、この「服従」が偽りだったかと言えばそうではない。彼女の誓いは揺らぐことはあっても、またジュリアンが最終的に自分ではない女性への愛を選ぶとしても、最後まで貫かれている。

共有されたプロトコルによる同質性が貴族を貴族たらしめるのに対し、マチルドのこの揺らぎと理想は、他の貴族が持ち合わせない「個」としての意志に基づいている。ただその貴族枠から抜け出そうとするのではなく、その仕組みを最大限利用してやろうとする野心に彼女の強かさを見ることができる。

ナイーヴで世間知らずな少年性をうちに抱えるジュリアンに対し、出自が全面的に援護する強烈な我の強さを見せつけるマチルドは作中において実に魅力的であり、新しい風を物語に招いている。

 

「材木屋の息子」といえば

ところで、材木屋(Charpentier、つまりカーペンター)の息子というジュリアンの出自は、当然イエスを想起させる。スタンダールの母がモデルとなり、ジュリアンの死後に他界することが描写されるレナール夫人は聖母のポジションになるだろうか。

そうするとマチルドはいかなる存在となるか、以下に非常に興味深い一文が書かれている。

 

いっこう酬いられるところのない神父のいる、ほんとうのキリスト教のうちになら、ことによればあるかもしれない。……だが聖パウロでさえ、命令したり、話したり、人の口にのぼったりする楽しみで、酬いられていたのだ

 

これは獄中のジュリアンの口から語られる、スタンダールキリスト教観あるいは当時の聖職者への批判でもあると思うが、ここにマチルドを重ねてみても良いかもしれない。

 

マチルドは、愛人であった祖先ボニファス・ド・ラ・モールの首を自ら貰い受けたと言う王妃マルグリット(マルゴ)のような誇り高い愛情の貫きを理想としている。これは彼女の本名が、マチルド=マルグリット・ラ・モールである点にも強調されている。

自身に釣り合わない生まれであるジュリアンと添い遂げようとするのは、一つには彼への愛情だが、もう一つには現在の貴族が誰も持ち得ない理想を掲げる自身の「自己実現のため」と言う利己的な一面も感じられる。

 

先の服従を誓うシーンの前に当たるのだが、以下にもその点があらわれている。

 

《ジュリヤンのようなひとの妻になったら、あたしはたえず世間の注目の的となるだろうし、世の中から忘れられて暮すことはないだろう。従姉妹のように、しじゅう革命をおそれたりするもんですか。(略)あたしはそうじゃない、必ず、なんらかの役割、それも大きな役割を演じてみせる。なにしろ、あたしの選んだひとは気概もあり、限りない野心をもっているんだもの。あのひとに欠けているのはなにかしら?お友達?お金?そんなものは、あたしがあげる》

 

結果、王妃マルゴのように、処刑されたジュリアンの首を抱え、故郷ヴェリエールを見おろす大きな山の中の洞穴に自ら首を埋葬し、さらに参列者に金をばら撒き、自費で大理石の像まで建てる。

マチルドは、ジュリアンから最終的に選ばれはしなかった。が、このような計らいにより、ジュリアンに貴族として(あるいはマチルドの夫として)相応しい葬送を行う。これは首が地に触れるまで転落したジュリアンの最後の上昇=成り上がりだ*2

 

作中に描写はないが、おそらくはジュリアンと共に彼女自身も、聖パウロのように「人の口にのぼる」存在となったのだろう。これにより、彼女は「ジュリアンの使徒」という立場を獲得するに至り、こうしてマチルドは理想と愛情を共に成就したのではないだろうか。そういえば聖セシリアや聖カタリナなど、初期キリスト教で列聖された聖人に、貴族や裕福な家庭出身者がいることも合わせてみても面白いかもしれない。

 

おわりに

この感想は下巻から登場するマチルドのエピソードを主に書いているが、上巻はレナール夫人との情事が中心となっている。夫であるレナール氏に自分たちの関係がバレそうになった際の、覚醒した夫人の策士ぶりも非常に面白い。

 

どの角度から読んでも面白いし意見が出しやすいと思うので、中学・高校の授業で教材として読み続けられているという理由もわかる気がする。現大統領にも引用することにも表れている通り、今なお規範として生き続ける作品なのだろう。

 

赤と黒』と聖書との関連は、スタンダール研究者の下川茂氏が書籍を刊行しており、こちらも読んでみたい。

www.amazon.co.jp

*1:Portrait officiel d'Emmanuel Macron : quels sont les trois livres qui trônent sur le bureau du président ? | LCI

*2:この点は下川茂氏の論を参考にした→こちら。ちなみに、通夜の間ジュリアンの遺体は「床の上の大きな青い外套」に包まれていた、とある。パリの貴族の勲章であり、道ですれ違う相手に頭を垂れさせる最強アイテムである「青綬章(コルドンブルー)」と同じ色、あるいはラ・モール邸のサロンで貴族が集まる青い長椅子と同じ色であるのは、ジュリアン最後の上昇に一役買う皮肉な伏線だ