アレクサンドル・デュマ・ペール『モンテ=クリスト伯』/ 金と計略(と時々ハシシ)、復讐劇の傑作
仏文50チャレンジ第4回の感想は、第12位の『モンテ=クリスト伯』(講談社文庫、新庄嘉章訳)についてです。結末にも触れているので未読の場合はご注意ください。
前回『カンディード』の感想はこちらから。
あらすじ
では、わたしが心から愛しているお二人が幸福にお暮らしになることを祈ります。そして、神さまが人間に未来を明かしてくださる日までは、人間の知恵は次の言葉につきることをお忘れにならないでください。
『待て、そして希望を持て!』
マルセイユの船乗りであるエドモン・ダンテスは、恋人メルセデスとの婚約の宴の最中に、自分を陥れようとする者たちの罠により捕まり、孤島の牢獄イフ城に入れられてしまう。
獄中に出会った神父の導きにより知識を身につけ、14年の投獄ののちついに脱獄を果たす。神父の言葉通りに発見した財産によりエドモンは「モンテ=クリスト伯爵」となり、自分を陥れたフェルナン、ダングラール、ヴィルフォールへの復讐を開始する。
文庫本全5巻で計2306ページ、束ねれば立派な鈍器となる壮大な復讐劇の傑作である。有名な作品だけあり、あらすじはよく知られたところだが、実際は1巻のうちに脱獄までストーリーがすすむ。残りの4巻は、登場人物がさまざまな関係性を築く中、モンテ=クリスト伯爵がひたすら金と計略(と時々ハシシ)を駆使し3人を追いやり破滅させる過程が描かれる。
主要な登場人物を整理しておくと、
エドモン・ダンテス:モレル商会の航海士。14年の投獄後、モンテ=クリスト伯爵として姿を表す。
フェルナン:漁師から軍役を経て出世し、モルセール伯爵へ。エドモンの恋人であるメルセデスと結婚する。
夫人:メルセデス
子供:アルベール
ダングラール:エドモンと同じモレル商会の会計士から銀行家として成功。男爵の爵位を得る。
夫人:エルミーヌ
子供:ユージェニー
ヴィルフォール:検事代理、保身のためエドモンをイフ城に送り込む。その後パリで検事総長に就任。
夫人:ルネ
子供:ヴァランティーヌ
夫人(再婚):エロイーズ
子供:エドゥワール
時々ハシシと書いたが、作者デュマとハシシについて非常に興味深い指摘があるので、以下に引用してみる。
また、1840年代、フランスにおいて急に芸術家達の間で大麻吸煙の風習が流行した。(略)1850年代にパリのホテル「ピモダン」において「大麻クラブ (Le Club des Hachichins)」が生まれ、会員としてゴーチェ、パルザック、ボードレール、大デュマらの作家がいた。デュマの「モンテ・クリスト伯」の中には大麻の媚薬的効果の詳細な記述がなされており有名となった。この過程でいわゆるDrug Novelが流行した。*1
デュマは、他の大作家たちと共にハシシクラブの会員だったようだ。「大麻の媚薬的効果」については、フランツ(アルベールの友人)が体験する神秘的な幻覚効果が数ページにわたって描写されている。
それは、予言者が選ばれた人たちに約束したような、絶え間ない逸楽であり、休みない愛撫だった。そして、石像のすべての唇が息づき、すべての胸が熱くなり、ついに、はじめてハシッシュの力を知ったフランツの飢えかわいた唇の上に、蛇のように冷たくてしなやかな立像の唇がふれるのを感じた時、その愛撫はほとんど息苦しくなり、その逸楽はほとんど拷問のように思われてきた。だが、生まれてはじめて経験したこうした愛撫を、腕でしりぞけようとすればするほど、彼の感覚は、ますます、神秘的な夢の魅力に引きこまれて行った。
おそらく大麻も含め薬物の効果に興味を持っていたのか、『モンテ・クリスト伯』にも複数の薬物が登場し、物語上で生じる相続をめぐっての毒殺や、『ロミオとジュリエット』をなぞるヴァランティーヌの薬による仮死のプロットの土台となっている。
ロマン主義と再びナポレオン
ナポレオン百日天下後の失脚により再び王政復古を得た貴族社会において、中東から極東まで知り尽くすモンテ・クリスト伯爵は、その貴族プロトコルとヨーロッパの歴史を共有しうる存在なのか明らかではない、実に奇妙な人物として描かれる。それは旧来の古典主義からの、新たな波となっていたロマン主義への視線と重なっているかもしれない。
それにしても今作でもナポレオンの存在は非常に大きい。エドモンが流刑に処され、脱出ののち再びフランスに戻るという流れもナポレオンの動きをなぞっている。
さらに作中では、ナポレオンは王権派の貴族から「簒奪者(Usurpateur)」、すなわちフランスから王位を奪ったものという名で呼称されている。
そしてエドモンも、フェルナンからは地位と名誉を、銀行家ダングラールからは金を、検事総長ヴィルフォールからは理性を奪うことに成功する。彼の復讐は、3人の命ではなく、彼らを象徴するこれらの所有物・性質を「簒奪」することで完遂されるのだ。
『モンテ=クリスト伯』の年表はこんな感じ。作中の社会情勢は実際のフランス史になぞっている。
1815年 |
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1829年 |
2月エドモン脱獄 |
1830年 | 7月革命によりシャルル10世が退位、ルイ・フィリップが即位 |
1838年 | モンテ・クリスト伯爵がローマでアルベールとフランツと出会う。その後パリへ移る。 |
世代交代の物語
『モンテ=クリスト伯』では、この復讐という主軸に対し、第1世代(エドモン、メルセデス、復讐される3人)と第2世代(それぞれの子供たち)が複雑に絡み合うヒューマンドラマが第1巻後2000ページにわたって展開されている。
他者を裏切り蹴り落とし財と地位を築いた成り上がりの第1世代に対し、元から貴族・ブルジョワとして生まれた子供たちは、その価値観を共有しない。
アルベール、ヴィランティーヌ、ユージェニーに共通するのは、自らの大義ーすなわちアルベールにとっては母メルセデスと自分の誇り、ヴァランティーヌは身分違いの恋人マクシミリヤン、ユージェニーは芸術家としての人生ーのためには財産や地位を放棄することを厭わず、そして最終的には全員が親から離れる選択をすることにある。
特にユージェニーは、自身の結婚が破綻した途端に友人ルイーズと家出(あるいは駆け落ち)を決行する。この二人は同性愛的関係とも読み取れる箇所もあるが、むしろこの時代に一人の女性として自由に生きるためのシスターフッドの現れと見ても良いかもしれない(そしてそれが実に困難である点も描かれている)。
世代の話に戻すと、エドモンの優しい実父は息子の帰りを待ちながら絶望の中死んでしてしまう。また牢獄のエドモンに善悪の区別と知恵、財産を授け、第二の父となったファリア神父は、その死によってエドモンに脱獄の機会を与える。
エドモンは復讐の手段と決意を共に手に入れることとなり、ゼロ世代とも言える二人の犠牲は次世代であるエドモンの物語を大きく動かす。
古い世代が去り、新しい世代が新たな人生を切り開く。世代交代はヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』にも共通している点だ。革命とナポレオンを経験したフランスでは、この社会の転換が文学において重要な主題の一つだったのだろう。
おわりに
『モンテ=クリスト伯』が持つ魅力は、アレクサンドル・デュマ・ペールの展開構成力と無駄のない剛柔併せ持つ筆致だと感じている。
伯爵が復讐を終えパリを去ろうとする場面でのこの描写など、その力強さが現れている。この部分に関しては、エドモンが海に落ちて脱獄したことを考えると、パリでの復讐を終え、ようやく「すべてをのみこむ波」から脱出したことが表されているだろう。
夜の空には星が輝いていた。ここは、ヴィルジュイフの坂をのぼりきったところで、この丘から見おろされるパリは、まるで暗い海のようで、燐光の波のような無数の灯火をちらつかせていた。それはまさに波だった。荒れ狂う大洋の波よりもさらに騒がしい、さらにはげしい、さらに揺れ動く、さらに狂おしい、さらに飽くことを知らぬ波だった。大海の大波のように静まることを知らない波、常にぶつかり合い、常に泡だちさわぎ、常にすべてをのみこむ波だった!
また、復讐が武力ではなく、桁外れの資金力と相手の何歩も先をゆく知略によってこそ成し遂げられるその切り口は読者を圧倒し、2300ページを最後まで読み進めさせる。そして3人の破滅を引き出さんとする執念と数々の葛藤を繰り返すエドモンも、心惹きつけるダークヒーローとして描かれている。
張り巡らせた仕掛けが大きく動き始める第4巻中盤からは本当に一気読みできるほどで、誰にもおすすめできる傑作だ。